#朝ドラ #ひまわり 再放送133回
のぞみ「そりゃ男としては好きだけど ほら人間としては考えられないわよ」
達也「それ逆じゃないの?」
このセリフおもしろい。間違いとも本音ともとれる赤松に対する複雑な心情。男として好きという人間の本能を朝ドラでぎり描いたセリフ。
達也の働く喫茶店の小道具に裸体像があるのもセンスとしてなんか奇妙なんだが、人間の本能という暗示かもしれない(深読み)。
自分の本が売れるからいいと諦める人もいるだろう。一方そもそも売れてる人にとってはそれ以上売れなくてもいいからもう少し沿ったものにしてほしい、勝手に創作しないでほしいと願うだろう、正義感の強い人は許容できないと思う
ドラマと原案を比べると、これが原作をものすごく変えて原作者と揉めるテレビや映画の人たちのやり方の典型なのではないかと想像してしまう。媒体の違いとか尺の問題とか接触する人の数の違いとかいろんな事情によってそうするのだろうけれどやっぱり他者の仕事に対しておそれを知らないよなあという気がしてしまう
Tシャツが乾くまでの蒼井優さんにを見ていて夏川結衣さんを思い出した。自然体、透明感、笑顔が柔らかでたくましい
今日中に終わらせたかった原稿、書き終わらず。でも急がずじっくりまとめたい。楽しみたい。
朝起きて、ゴミを捨て、ご飯を食べて、TBSのランキング番組を見ながらSNSにだらだら投稿している。取り掛からないといけない仕事にやる気エンジンをかけているのだ。そろそろはじめよう。 すごいな3時間くらいだらだらしてしまった。土曜日ならではですね。
唯一、直美の母の話しになったときだけ、昔のノリになった感じで。まあ、直美たちへの気後れもあって、しゅんとなっているのだろうけれど。キャラがツヤとかぶってしまうのは、そういう脚本(その場の役割でしか書いてない)なんだとしか思えない。ピンチヒッター的な脚本家が書いているからかもしれない。 逆にどんな人が演じてもうまく見えるというか、台本どおりにやれば物語が成立する台本もある。脚本家の名前を立たせた作品はそうでなければいけないだろう。
朝ドラ風薫る。環と文四朗が成長した分、大人も年をとってるはずだが、セツって何歳? なんだか直美たちと出会ったときより若くなってしまった感じがする。直美とりんは学び成長し出世したが学のないセツは変わらない変われないということか。それにしたってだよ。演じてる人は巧い俳優と言われているのになぜにこうなった。やっぱり台本あっての演技であるということだろう。台本にセツの過ごしてきた時間が書かれていないのだと思う。行間にもそれがないから俳優が作りようがないのだたぶん。書かれてない(考えてない)ものを勝手に作らない。そういう意味でちゃんとした俳優なのだ。→
